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…CAPを人に勧めるということの覚悟というか…

 CAPでは「誘拐のような、誰か助けてほしいという状況になったとき、『自分は強いんだぞ』という意味と『誰か気がついて』という意味を含めて、お腹の底からウォ−という特別な叫び声を出そう。」と教わります。

   大人向けのCAP講演での質疑応答で、それに関連して、以下の意見がありました。

「 『…そして自分もそういう特別な叫び声を聞きつけたら、自分も同じ声を出しながら、
そこに駆けつけよう( 助けに行く、という選択肢もあるよ)』と、子どもに教えるのが、ショックだった」

 というものです。これは多分、

「(無力な)子どもが現場に駆けつけたところで、どうなるわけでもなし。
 かえって犯罪にまきこまれる危険があるだけじゃないか」という考え方でしょう。

 その人がそれまで親として子どもに言ってきたことと反対のことがCAPで(ごく一部にせよ)教えられるとしたら安易に受けさせていいのかどうか、考えざるをえない人もいるわけです。

 CAPに限らず、内容の99%に賛同できるからこそ、同意できない残り1%の部分がひっかかるという場合もあります。

 …

 以前、アメリカの開拓時代のドラマで、子どもたちに人間は猿と同じ祖先から進化したのだと教えた女医さんが、あとで親たちから「とんでもないことを子どもに教えるな」と怒鳴り込まれるといった場面がありました。

 キリスト教の信者さんには、進化論は本当に非常識きわまる話だったんだなと驚くと同時に、(今でも子どもに教えるかどうかでもめてる州があるらしいが)CAPの大人向け講演会という発想はこういうところに源があるのかなとも思いました。

 CAPの大人向け講演会は、アメリカでCAPを創ったグループが規定したことです。
子どもがCAPを受講する前に、大人(保護者)が受講して、CAPの内容を把握した上で
子どもに受けさせるかどうかを決めるということだと思いますが、「親は、子どもが学校で教わってくる内容を、把握している義務と権利がある」という意識がなければ、思いつかないんじゃないかと。
 もちろん、子どもを守るための情報を親にもレクチャーするという意味が第一なのでしょうけど、大人(保護者)がまずCAPを受講して、子どもをエンパワーするCAPの考え方を納得した上で、子どもにCAPを受けさせるということに責任をもつということにもつながると思います。

 そうでないと、

 CAPは、あくまで予防教育のひとつなので、万一、子どもがなにかの被害にあったとき、
子どもが親から「 CAPを受けたのに被害に会うなんて」という責められ方をされることが
ないともいえません。

 しかしまた、
「子どもがCAPを受講したせいで、”特別な叫び声をあげて、かけつける”なんてことを
したおかげで、あわなくてもいい被害にあってしまった。どうしてくれる!!」
という抗議が、CAPをすすめる側に来る日が来ないとも限らないということを、最初にあげた保護者の感想を聞いて、思いました。

 親にとっては、自分の子どもが、線路に落ちた人を救おうとして自分も轢かれてしまうようなことになってほしくない。人助けなんてしなくていいから、無名でいいから、長生きしてほしいと思うのは人情です。


 もちろん、”CAPを受講した”→”特別な叫び声をあげてかけつける”ということが
子どもに単純にインプットされるとは思えないし、もし子どもがそういう状況に直面したとき、
そういう行動を取ったとしても、”CAPでそういう行動を取るように教わったから”などと
考えるなら、その子どもの自主性も自分の考えも個性というものもすべて存在しないことになる。

 しかし…
犬飼道子さんだったか、国連難民高等弁務官事務所の代表を務める方が、若者に、「若いうちに世界を見て回って、世の中のために尽くしなさい」と勧めると、その親御さんから「うちの息子(または娘)にとんでもないことを言ってくれるな」という抗議が来たりするので、「本当にこの国は、どういう国になってしまうのか」と、暗澹たる気持ちになると語っていたのを連想もする。

 そりゃ確かに、大事な一人息子や一人娘が遠く海外で地雷を踏んだりテロリストに撃たれたりして死なれるのは御免だという親心なのでしょうが、そういう内向きの姿勢の人が、自分の知らない間に多勢をしめていたらいやだな、CAPというのは成り立たないな、とも思う。

 自分も、CAPを人にすすめるということの覚悟は必要かもしれないと、ちょっと色々、考えさせられました。

 妄言多謝

(2001,5,20)