ネットの中には、まるで忘れていた自分の母国語が通じるような場所がある、と感激したことがある…。


■ ネットの掲示板はピア・カウンセリングのような場所になり得るか?


誰でも日常の中ではあまり表に出すことのない(出来ない)自分の趣味、関心事、あるいは価値観や悩みといったものを多少は持っている。

私にとってのそれらは、リアルな世界で他人に話した場合、

@「 理屈っぽいね」と言われかねない真面目な話
A「 いいトシして」と思われかねないオタクな趣味の話
B「そんなこと考えてるの?」と敬遠されそうな内面の話(愚痴とボヤキ)

つまりそれらは、日常接する人にはあまりうちあけたいとは思わないし、同じ立場の人でないと通じない話題である。 そういう話題が通じる ”同じ言葉を話す仲間”は、なかなか見つけられるものではないと思っていた。しかし、インターネットはそういう”仲間”を見つけられる、リアルな世界の裏側に広がるアンダーグラウンドだった。

ネットでは、年齢や性別や職業や経歴などに関係なく、「同じことに興味がある」「 同じ痛みを知っている」「同じことに悩んでいる」「同じ志しを持っている」等など、キーワードで接点を持つことができる。

同じ雑誌などを読んでいる同好の士が知りあう機会はなかなかないが、ネットでは、互いにどこに住んでいようと、現在進行形の話に参加できるのが掲示板(BBS)の魅力だ。

単純に言えば、自分に困っていることがある場合、キーワードで検索し、リンクをたどり、これと思うサイトの掲示板を見つけることができれば、自分と同じ経験をした人や同じことで悩んだことのある人から、「そういう場合はこうしたらいいよ」という助言や実際に役に立つ情報や「 そういうことってあるよね」という共感をもらうことが出来る。

すごい。
ネットはまるでピア・カウンセリングの
ような場所だ!と、私は思った。



ピアとは、仲間という意味で、「 ピア・カウンセリング」の考え方は、「同じ背景を持つ人同志が、対等な立場で、話を聞き合うこと」で、「ピア・カウンセリング」の本来の意味は障害者のピア・カウンセラーが障害者の相談にのること。それにより、自立生活を既に行っている障害者の立場からの自立のための具体性のある情報やアドバイスと、精神的サポートを後続の障害者は得ることができる(のだそうだ。)

もちろん一定のプログラムを習得したうえでなければ、自立して生活をしている障害者だからピア・カウンセラーになれるというわけではない(らしい)。これは私の立場からでも、少し考えれば納得がいく。

カウンセラーが「 私はこういう方法でうまくいったのだから貴方もこうすればうまくいくはずだ。うまくいかなかったら貴方の努力がたりないからだ」というふうに、自分の経験を絶対的なものとしておしつけるようなことがあってはならないわけだし、本人にそのようなつもりはなくても、相手にそのように受け取られてしまったらカウンセラー失格だ。同じ立場からアドバイスするといってもアドバイスの質的な問題やそういう技術的な問題など学ばなければならないことは色々あると思う。


また、最近は障害者同士の相談だけでなく、同和問題で困難に打ち勝ってきた女性が、同じ事が障害になって悩んでいる人の相談にのったり、同じ病気や同じ社会的条件で困っている人同士が情報を交換したり、悩みを聞きあったりなどのように、ピア・カウンセリングの考え方は広まってきているという人もいる。

(詳しくはGoogleでピア・カウンセリングで、検索を。)

注意/私は実際にはピア・カウンセリングについては聞きかじりなので、それゆえここの項目はあくまでも「ピア・カウンセリングのような場所になり得るか?」であって「ピア・カウンセリングの場所になり得るか?」ではない。念為。



「同じ背景を持つ人同志が、対等な立場で、話を聞き合うこと」で、先行する立場の人が、後続の悩める人に、具体性のある情報やアドバイスと、精神的サポートを与えることが出来るという意味ではネットの掲示板もピア・カウンセリングのような場所みたいだなと、思った。

基本的に、同じ事に興味関心のある人でなければ、同じ掲示板に来ることはないのだから。

私も自分が試行錯誤してきたことに関するサイトを作って管理している。キーワードでそこにたどり着いて、それが参考になる人もいるはずだと思う。同じ夢を持ち同じ言葉を話す人が同じ轍を踏む必要はないのだ。
情けはヒトノタメならず=他人に情けをかけると。それがめぐりめぐって自分にかえってくることが本来の意味。(自分ではネット・ボランティアと名づけている。)

しかし、自分でもまた、興味のあるサイトの掲示板(複数)に通ううちに、ファンサイトだろうとまじめ系統のサイトだろうと、困ったさんが出没するのは かわらないこと等、いろいろわかるようになった。


横道にはずれるが、「困ったさん」のことをある人は「ティンカーベル」 と名づけていた。ピーターパンに出てくる小さな女の子の妖精で、 子供で甘えん坊でわがままで可愛い。しかし、ネットはネバーランドではないし、子どもは大人になってくれなければ困るという意味だったようだ。

「甘えん坊/ 他人依存型/ 自分の考えに固執していて絶対に譲らない/ 他人への配慮をする事が出来ない/ 自分の精神年齢が高いと思っている、または公言している/ 自分は若い(子供)だから、何をしても大概許してもらえる、と思っている」

「 このうちの一つにでもあなたが思い当たる事があれば、あなたはティンカーベルです。」(……… ・・(б_б;)



じつは私も「困ったさん」なことをやらかしてしまったことがある。よその掲示板で、自分の付けたレスで、アドバイスを求めていた人をとても傷つけた。

反省している。しかし、掲示板をロムしてるという人からの個メールで、「これは BBSやメールという場所に起きがちなトラブルではないか 」という意見もいただいた。「私には貴方の付けたレスは、おかしなものには思えなかった。そういう意見もあるだろうな、としか思わなかった」という個メールもいただいた。どうしたって言い分けにしか聞こえないだろうが、私も、BBSという場所の持つ性質からくるトラブルという面もあったように思う。


BBSは、書き込むメンバーの固定しているML(メーリングリスト)ではない。書き込みに対して専門家が答えることになっているというルールのある掲示板ならまだしも、誰でも気軽に書き込みしたり、レスをつけたりしていいなら、それぞれの見方にもとづいた思わぬ意見も出てくる。自分と同じ人間はいないのだから。

また、もしも仮に、(「 仮に」の話ですよ!! )私が、誰かの相談の書き込みに対してつけたレスが客観的に見てもっともな批判、批評であった場合でも(BBSでそれがどうしてわかるかどうか謎だが、とりあえずは)、そういうレスを返された人が果たしてそれを望んでいるとは思えない。ということに最近気がついた。

ちょっとした愚痴やボヤキを含めて、悩みを綴る人というのは、(自分を含め) 理解されたい、共感してほしい、と 同意を求めこそすれ、自分に批判的な意見など、望んでいないのではないだろうか。
自分に同調してくれるレス(意見)を求めているのであって、異見など求めてはいないのではなかろうか。


私は、参加自由のBBSは一種の雑談部屋のようなもののように思っていた。
また、第三者としてロムするぶんには、悩みに共感する意見以外の、「 私だったらこうするけど…」「ゴミ発言かも知れませんが…」「 無責任なレスかもしれませんが…」といった前置きのあるレスも、面白く読んでいる。
が、レスを返された当事者にとって、それを同じように感じるとは限らない、的外れなレスをもらって苦痛に感じる場合もあるかもしれないと思うと、私は気軽に書き込みができなくなった。


また、傍から見ても「これはないんじゃないか?」と思うレスを目にすることがある。


たとえば
<家族内で話し合いをいくら重ねても結果が出ないので、他に方法はないか、法的な手段でもいいし、専門機関があるなら教えてほしい。云々>という、具体的な対処方法を求める書き込みに対して、「もう一度、家族で心の底から真剣に話しあってみたら、なんとかなるのではないでしょうか。云々」といったレスがついていたりする。

...(゚o゚)...ヾ(--;オイオイ... 


…あの…真剣に話しあってもどうにもならないから、この人(質問者)は掲示板に書き込みをしたんじゃないでしょうか?と、ツッコミを書きたくなったが、控えた。



ある保健婦さんが「 保健所に相談に来る人は、考え悩んだ末に答えが出ないので相談に来た人だということを私達は知っていますから、そういう人に対して、『もう一度よく考えてみれば』といって帰すようなことはしません」と言っていた。

はっきりいえば、素人ボランティアと専門家の違いだと思う。

が、しかしまた、そういう違いはあるにしても、たかだかお手軽に書き込めるBBSの場合は、悩みを書き込んだ人がどの程度のアドバイスを求める気持ちで書き込んだのか、たかがBBSにどれくらいの期待を寄せているのかといったことは、傍からは窺(うかが)い知ることは出来ないのだから、案外、上のようなレスをもらった人が、「そうだ。もう1回家族で話し合ってみよう」と思わないとは、第三者が断定することはできないのである。(と、一応書いておこう ^_^U )


また、質問する人が「これってどう思う?」という軽い気持ちで書いたように見えるのに、それに対するレスが、”なんだか腕まくりして書いたみたいだなー”と思えるような真面目一途な文章だったりするのを目にして苦笑することもある。



とはいえ、やはり、もしも、それがアドバイスを求める切実な質問だった場合に、その人にとって的外れなレスをかえされた場合、その人が、それをさらっとながせることのできる精神状況だったらいいのだが…とちょっと心配になることもある。




また、「私はこういうやりかたでうまくいったのだから貴方もこうするべきだ(うまくいかないのは貴方の真剣さが足りないのだ)」「家族の問題に法的な手段をもちこもうとするなんて感心できません」と、自分の経験や価値観を質問者に強要するレスを読むと、質問を寄せた人が心が弱くなっているときだったら、傷ついたのでは…とも思う。
(考え過ぎか。いや、でも、きっと、プロのピア・カウンセラーだったら、こういうアドバイスの仕方はしないんだろうなーと思う。)


だから、ネットの掲示板はピア・カウンセリングのような場所になり得るか?という自分で立てた問いには、「 ならないとは言わない」しかし、「そうなるとはかぎらない」と答えたい。「期待しすぎるべきではない」が、見切りを付けたほうがいいよとまではいいたくない。



書くほうもレス付けるほうも読むほうも「たかがBBSなんだから」くらいの気持ちで、「自分に合った意見や情報があったら取り入れよう」という気持ちで いてくれたらと思う。

たかがBBSなのだ。無料で、名前も顔も明かさなくていいし、自分の書き込みに対しても、相手に対しても、責任をとらなくていいし、誰でも発言できる仮面舞踏会だ。

日常では言えない自分の悩みをネットでは吐き出せて、誰かがそれにちょっと共感してくれて、ちょっと背中を押してくれれば、また動き出せる、ということもある。

…と、いい意味で、たかがBBS、たかが素人ボランティアのレス、または世間ズレした年配者の見当違いのレスもある。というくらいの気持ちで、読んだり書いたり出来ればと思ったが、皆が皆、そう考えているとは限らない。

もちろん、「 BBSって、特に注意書きがない限り、どんなテーマに対しても自由な意見を書ける雑談部屋みたいなものじゃないの?」というのは、私のBBSに対する勝手な思い込みであり、思い入れである。

どこかのお子様探偵のように、「 真実は常にひとつ」(正しい答えはひとつしかない)と思っている方々が話題ストッパーをしている掲示板もある。そこの管理人が何も言わないなら、文句をつける筋合いはない。掲示板の方針を決めるのは管理人だから。






ボヤキ

(少なくとも掲示板のあるサイトの管理人は、「ここの掲示板はこういう方針でやっています。」 「掲示板に入る前にこれを読んでね」という案内ファイルや参加ルールを明記して、BBSに書き込みをしようとする人が個々に持っている BBSに対する良くも悪くもある勝手な思いこみを排するようにしたほうがいいのではなかろうか。

もちろん注意書きなど読まない人がトラブル起こすのだろうが、どこかで管理人の個性や掲示板に対する考え方をうち出しておいたほうが、そこの掲示板が雑談部屋として気楽に書き込みをしていい類のものかどうか、居ずまいを正してゴミ発言などしないように注意したほうがいい場所かどうか、トラブルが起きたとき、管理人はジャッジをするのか、どちらの味方もしないのか…などの見当がつく。)




最近 私はこちら方面 ( 教育とか心とかの まじめ系統) のBBSのロムも書き込みもやめた。

「 あのグループはWSでこういうことをしているけど、あれはちょっとまずいんじゃないの?」と、第三者に聞きたいこともあったが、BBSは文章だけでお互いの人物像を描いているから、一度信用を低下させると発言しにくい。 「そのうち聞ける機会も訪れるだろう」くらいの気でいる。

( 私は自分が 「××さんがそんなことを言うなんて」とレスを返されたときは、「私は私ではない人物像を期待されていたのか」と、へこんだ。大袈裟に言えば人権を擁護するお手伝いのサイトをつくっている。といっても、本人は不真面目でいいかげんで、オタクで怠け者なのに、いったいどういうキャラクターだと思われていたのだろうかと青くなった。(;¬_¬) )

また、そのほかのBBSでも、「地雷を踏んだらああいう目にあうのか」と思うような例を見たりしているうちに、疲れた。(多少、的外れなアドバイスだからといって、自分とは違う意見だからといって、「そんな異見を持つ人間は許せない」とばかりに人格攻撃までされているのを見ると、他人事であっても、へこむ。『(攻撃された人が)それほどまでに否定されなければならない異見を書いたとも思えないのに…』と思えば、自分もいつかそういう目にあうかもしれない。と思わず後ろへ退(ひ)いてしまったのは私だけではあるまい。(-_-)ゞ゛)

疲れたら休めばいい。
「お気に入り」(ネスケなら「ブックマーク」)から ロムしていたBBSのURL(複数)を削除した。
とたんに 世の中平和になった ような気がした。



妄言多謝


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