「掲示板で本名を使わずハンドルネームで発言することは、発言する人の日常の精神面を守るためにも必要なのではないか」という話
ここでは仮に、その人を「田中一郎」さんとします。(笑)
田中さんはハンドルを使わず本名で、自分の育った学校についての出身者の多く集まるサイトでその学校についてのコメントを掲示板に書いてます。とても誠実な人柄の読み取れる内容からしても、どうみても本名での発言だと思われました。
(私の思い違いであるならこのファイルは必要ないです)
(それが「小田 真理」とかいう名前なら私だってそりゃハンドルだろうと思います。(わからんという人は↑早口で3回唱えてみよう)(笑)
田中さんの名前が女性名(の本名)だったら、誰かがやめなさい言ったと思いますが、男性なんだから自分の責任でやってるんだろうから「ハンドルにすべきだ」とは誰も言いませんでした。私も。
しかし掲示板は−どこの掲示板でも!!−言葉だけの世界だからトラブルがすごくおきやすい。その掲示板でもこじれてしまい、田中さんも掲示板で人をアタックしたり自分がアタックされたりしました。
注/ここではそのトラブルの内容を問題にしてるのではありません。
私が気になったのは、田中さんがハンドルを使わないがゆえに受けているであろうダメージの深さです。田中一郎という本名でカキコしていると、その人自身が、全部、丸ごと傷ついているんじゃないでしょうか?すごくそんな感じがしました。
つまり、日常生活のほうでも、気持ちが落ち込み、気分の切り替えがうまく出来なかったりなど、影響が大きく現れているのではないかと、とても気になりました
たとえばハンドルが「nobi」という人が掲示板で傷ついても、それは彼女のなかのnobiというキャラクターがです。(人権や子どもの問題に関係するサイトでは、”そういう問題に関心のある自分”がnobiというハンドルでカキコしています。)
そのハンドルを被ることで日常の自分を防御しているはずです。(と思いたい)いえ、私の場合はハンドルで書いたときですら批判されたときのショックは大きかったのに、これが実名で出した言葉を非難されるようなことになっていたら、もっと立ち直れなかったのではないかと思いました。
もちろんハンドルであろうと本名であろうと傷つくものは傷つく。
が、掲示板でハンドルの名の下に出している自分は、”××が好きな私”や”○○という問題に無関心でいられない自分”であって、それはリアルを生きてる自分とはもちろん地続きの自分ではあるけれども、リアルを生きている自分そっくりそのままではナイという感じがしています。あるいは、もしかしたらハンドルの自分のほうが普段の日常生活のなかでは決して他人に悟られてはならない知られてはならない”本当の自分”(なんて胡散臭い言葉だ)であるのかもしれないけれど。
インターネットは、「いい意味でも悪い意味でも」仮面舞踏会です。
普段の日常生活では出せないし、出すことのない、”××出身の自分”や”○○という経験がある自分””△△が大好きな自分”をハンドルネームという仮面をつけることで表出できます。
ハンドルをつけることで、そういう、”自分が戻りたい自分”に戻ることができるのです。
あるネットマナーについてのサイトに「サイトを作ってるような人はみんな多重人格ですよ(笑)」という文があったけれど、私もそう思います。
ハンドルネーム「×○△」は「実際の人物」の、普段は隠れている一部分。
実際の人物はネットで見せる顔以外にも、現実の場所で、母親とか妻とか何々役員とか会社員とか課長とか○×会幹事とかいろんなアイデンティティを持っています。
しかし田中一郎さんという実在の人物は20歳そこそこの男性で自分の両親からは独立しているし、独身者なので妻も子もいない。職業模索中のよう。社会的な地位(注/部長とか課長といった会社での肩書きのことではなくて、会社員であるとか誰かの夫であるとか誰かの父親であるとかいった社会的役割)が少ない。アイデンティティがそれはすごく不安定です。(でも若いんだから当たり前です)そういう彼にとって、だから”○○の出身者”というアイデンティティはすごく大きな位置を占めている。それゆえにそこの掲示板へ行く。”○○の出身者”としての話をしたいし、話を聞いてもらいたい。そしてそれを脅かされる様なことがおきれば不安になる。他人から見れば、攻撃的にもなる。
田中さんがカキコをはじめた当初は、私は本名でカキコする人に対して、(ネット上のセキュリティという問題に自分で責任を持つなら)、ハンドルを使わなくても本名のままで自分をさらけ出すことができるならそれはそれでいいのだろうとも思いました。
本名で直球勝負をするのもアリだと思います。が、掲示板でアタックされたときの日常へのダメージというのは、ハンドルを使ってる人以上に受けやすいのではないかと、田中さんの一連のカキコを見てて思うようになりました。
このファイルを書いている私も、多分このファイルを読まれる方も、「朝まで生テレビ」に出演して怒って退場するような職業的に批評活動を行っている人間ではないのだから。
せめて、ICHIROとかのハンドルにして、日常の自分自身を”○○の出身者”の自分からは守るようにしたほうがいいのではないだろうかと思いました。
と、よけいなお世話といったことを書いてしまった...
これもまた自分だけの勝手な思い込み、妄想かもしれません。
追記1/ここでいう「学校」とゆうのはどこの学校のことだろうと思われるかもしれませんが、それはシュタイナーでもヤマギシでも「ものみの塔」でも戸塚ヨットスクールでも何でもいいのではないでしょうか。
追記2/この文は見る人が見れば「田中一郎さん」が誰のことかわかるかもしれない。ゆえに、こういう文をファイルにしてもいいですか?と田中さんに断っておくべきだろうかとも思いましたが、田中さんが誰であろうとも、「本名でカキコする人」に対して「私は」こう思うという文なので、了承を求めるメールを出すのはやめた。