個人サイトとグループのサイトの管理人の違い
 個人サイトは個人放送局みたいなもの (と、私は思っている)

世の中、たとえばAという事象について、3通りの反応がある。

A=宮部みゆきとすると

1)宮部みゆきの小説が好きっ!

2)宮部みゆきの小説?知らない

3)宮部みゆきの小説なんてつまらない!

いろんな意見があるのは当たり前。
しかし、(1)の人たちが集まるサイトの掲示板に(3)の人が「宮部みゆきなんてどこが面白いのさ」とカキコしたら、それは「荒らし」行為になる。(逆もまた同様)

もちろん「宮部みゆきの時代物と現代モノは好きだけど、ファンタジー物はつくりが見え見えで、なんていうか私の肌に合わない」という微妙な意見もあるだろう。が、少なくともそこが個人によるファンサイトならそういう意見も「どうぞ」と受け入れるか、退場を命じるかは管理人の権限で決めていいことで、その意見が正しいか間違っているかということで振り分けられる問題ではない。

その意見が正しいとか正しくないとかには関係なく、個人サイトにおいては、管理人が「ここはこういうサイトで、こういう方針の掲示板です」と決めたらそこはそういう掲示板になる。

初めてネットに入っていくとき、どういうサイト類から閲覧を始めるかで、「ネットとはこういうもの」「サイトとはこういうもの」という思い込みが各人各様に出来てくるものだろうが、私の場合はアニメやマンガのオタクでバカな話ができる場所を求めて、98年にパソコン通信(ニフティサーブ)の会議室から入り、インターネットへは個人が作るファンサイトを閲覧するところから入っていったので、サイト⇒個人サイト=個人の作った趣味の部屋=万人受けを目指す必要のない場所=個人サイトは個人放送局と同じようなもの、または個人の内面という作品が展示してある個人の「家」で、掲示板はその家の応接間のような場所 という思い込みがある。

アニメやマンガなどの個人によるファンサイトは、サイトを作る管理人の側からすれば、「絶対にボツにならない自分専用の投稿(投書)欄」なのだから、サイトのコンテンツについて、こんなカップリングはおかしいの、こんな解釈は間違ってるの、原作のイメージと違うだのと訪問者に言われる筋合いはない。多くのファンサイトには入り口に注意書きがある。「ここはこういう場所なのでそれがイヤな人は引き返してください」という意味のメッセージが。個人によるファンサイトはどれも皆、「自分にあわないと思ったら入らない」のが基本の、妄想建築の城だ。


 掲示板(BBS)を管理しない管理人
アクの強い個人ファンサイトばかり見てきたおかげで、人権関係のサイトの板のなかには「困ったさん」や「正義の説教ボランティア」が現れたり訪問者同士の意見の食い違いで荒れたとき、それに対応しない管理人がいるのが納得がいかなかった。
 もちろん掲示板には
1 訪問者同士の交流用掲示板
2 訪問者と管理人の交流用掲示板
 の2種類があるし、「荒らし」に対しては無視が一番の対策なのは言うまでもない。しかし善意の「荒らし」とそれに注意を促す訪問者が出たり、訪問者同士の意見が異なり収拾がつかなくなったとき等は、管理人が出てこないことには解決にならない。

 サイトの管理人ではない訪問者が別の訪問者に注意をするのは考えもので、注意された方は「(管理人に言われるならわかるが)同じ訪問者に注意される筋合いはない」と思うことも多いので悪循環の応酬が続くことになる。

 問題を起こしている訪問者に対処するのは管理人の仕事でもある。(と私は思う)
なのに、情報の集積も知名度もあるため訪問者も多く、そのためカキコする訪問者同士で荒れることもままある板で、仲裁も仲介もしないし、「ここはこういうサイトで、こういう方針の掲示板です」と主張しない管理人がいるのは何故だろう。
 注/ 人権関係のサイトの板のなかで、そういう板「も」目についたと言っているのであって、人権関係のサイトの板の管理人が皆こうだと言ってるわけではない。困ったさんに対応する管理人(個人サイトだった)もいる。管理しきれないと感じて板を閉じた管理人(個人サイトだった)も目にしたが、それは私は潔いと思う。

管理しない理由として考えられることは、そこの管理人が
1 サイトの板の運営をする気がないから。
2 万人受けを目指しているので、意見の食い違う訪問者のどちらにも肩入れをするわけにいかないから。
3 平和主義者なので誰かをアタックするようなまねはしたくない、できない。
4 管理人が出なくてもいずれ収まると思っているから。
なのだろうかと、色々考えてみた。(きっと全部はずれだろう)

と、そのうち、個人サイトではなくグループ(人権関係のNPOなどの)として運営されているサイトでは、管理人が個人の意見を言うわけにはいかない場合もあるのではと気がついた。



自分の意見が「個人の意見」と受け取られない場合 の例

 小学校のPTAの役員をやっている友達の話。
年2回くらい、平日の昼間の市役所7階の会議室で、市内の各小中学校のPTA役員の代表者と市の教育行政の担当者による恒例の集りがある。PTAから「中学校給食(棟の建設)はいつになるのか(東京都東久留米市の公立中学校にはいまだに給食がない)、小学校の統廃合の予定は、公立中小校の防犯についてはどうなってるのか」等などの要望が出され、その進捗状況などについて行政側が答える。(その答弁は各校で広報される。)
 先日そこに、市議に当選したばかりの某革新系の政党の (末端の自治体でこういう「政党」別の党派わけはあまり意味があっては困ると思う)某女性議員がオブザーバーとして出席し、PTAの方々に向かって発言したそうだ。
 「今、東久留米は緊縮財政で苦しいときなのに、本当に中学校給食棟を建設することが必要だと皆さんは思っているんですか」と。

 出席した友達は私に言った。
「市議の発言の趣旨はわかるし、自分なりの考えもある。(友達は中学生の弁当くらい親が作るべきだと思っているが、実際にコンビニ弁当の子どもが多いことも知っている。)だけどそんな場所で自分の考えを言っても、後で「『○○小のPTA代表のお母さん』がこういった」と言われるに決まっている。(「弁当ぐらい親が作ってもいいのではと思う」などと答えたら、あとでその発言を市議に利用されかねない。) いくら自分個人の意見だと言ったとしても、「○○小の代表の方がこういった」と受け取られかねない場所で、個人の意見なんか言えるわけがない(し、そういう趣旨の集まりの場でもないも)のを、あの市議はちっともわかっていない」と。

「アサーティブなコミュニケーション」という意味で考えても、言いたくないから言わないでいるという選択肢もある。




管理人が「自分の意見」を言わない の例

 というわけで、そうだ、グループで作っているサイトの管理人が「管理人さんはどう思うんですか」と訪問者に詰め寄られて(?)も答えなかった例を思い出した。

ある市民運動における情報センターのサイトでの、たとえていうならば 『典礼問題』だった。(笑)

 『明の時代の後半から、ヨーロッパ人宣教師が中国に布教にやってきた。』
   (90年代中ごろからある市民活動が日本の各地で広がった/これを第1次派とする)

 マテオ=リッチ。中国名は利瑪竇(りまとう)。アダム=シャール。中国名、湯若望(とうじゃくぼう)。フェルビースト。中国名、南懐仁(なんかいじん)。ブーヴェ。中国名、白進(はくしん)。カスティリオーネ。中国名、郎世寧(ろうせいねい)。(なつかしいな世界史)
 これらの宣教師はすべてイエズス会士で、郷に入れば郷に従えの精神で、宣教師たちは中国名をつけて活動した。イエズス会の側は、まずは中国社会に入り込むことが第一と考えて、中国の伝統文化に妥協し、キリスト教に入信した中国人が、孔子を拝んだり、祖先の霊をまつるのを認めた。
 (90年代後半の第一次派の運動は日本の学校や社会の実情に妥協したやり方で活動してきた。)

 しかし、イエズス会に遅れて中国に布教にやってきたドミニコ修道会、フランチェスコ修道会が、イエズス会の布教の仕方が間違っていると言いだし、中国人に対してどのように布教すべきかということが、ローマ教会の論争になる。これを典礼問題という。

 (2000年代になって運動に参加しはじめたいわば第2次派の人の中から、「第1次派の活動の仕方はよくない。運動の本来の趣旨に反する」という主張をする人が、運動における情報センターのサイトの板に現れた。)

ある情報センターのサイトにカキコしたその人は、たぶん、そこの管理人さん(ローマ教皇の立場!?)に第1次派の布教の仕方...じゃなかった活動の仕方を批判してもらいたかったのではなかろうか。しかし管理人さんはその問いかけには答えなかった。
 答えられるはずがない。

これが政党の話なら党の中央執行部が決めた確固たる活動方針があって、全国津々浦々の末端の党員がそれ従うのは当然であり、それは本部と支部という関係とも言えるだろうが、各人の意思にもとづく自然派発生的な「運動」(という古びた言葉でくくるのは恥ずかしいけれど、いまのところこれ以外に適当な言葉が浮かばない)については、そういう指導する、管理するという関係は当てはまらないのだから。

 また、管理人がいくらこれは自分の意見ですと前置きして言ったたとしても、それは管理人個人の意見ではなく、その情報センターの方針としての意見という受け取られ方をされてしまうのは必須だ。気軽に自分の意見など書けるはずがない。

ゆえに、「グループのサイトの管理人」が管理人個人の意見を問われた場合、答えたくても答えられない場合もある(と思う)。

上の例の場合は、結局その情報センターで質問カキコした人は答えがもらえず、「管理人はもっとちゃんと全国の運動を指導するべきである」という旨の投稿を最後に(サイトに対する不満と不信を抱いたまま?)カキコをやめた。
(それでいいのか、管理人さん。)
グループのサイトの掲示板の管理人はかくも難しいのだった。

Date: 2004-01-05 (月)


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備考:公のサイトで管理人のいない掲示板
愛知県の公式サイトの一つである愛知県児童相談センター 子ども相談WEBページ
http://www.pref.aichi.jp/jiso/index_jiso.htmlに「インターネット会議室」があるが、そこは「訪問者の交流用掲示板」であり、行政のほうからは原則として答えなどの書き込みはないとの注意書きがある。そのせいかどうか書き込みは少ない。訪問者同士で意見の食い違い等が起きたときに仲介をする管理人のいない場所に、私ならカキコしたいとは思わない。