「善魔さん」について
 <人権>がキーになっているサイトの板を読むと、ピア・カウンセリングのような交流の場になっているところもあり、ROMしてるこちらの心もあたたまる。

 しかし<子ども><虐待><DV><いじめ>などの言葉で検索できる人権関係のサイトの掲示板(以下、「板」)には、たまに、「荒らし」よりも数十倍、いや数百倍、いや、数千倍恐ろしい人が出現することがある。 「悪魔」ならぬ「善魔」と呼ぶべきだろうか。
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 人権関係の板には、「ここでなら自分の問題を解決するヒントが得られるかもしれない」「ここの板に来る人になら、自分の気持ちや問題を吐き出してもわかってくれるかもしれない」という気持ちで綴られたはずのカキコが多々ある。
 第三者や門外漢の方から見れば愚痴やボヤキや繰言にしか見えないカキコでも、同じ言葉を話す人同士が出会うサイトの板なら、問題に対して具体的な情報やアドバイスのレスを書く人がいたり、精神的なサポートになる言葉を書いてくれる人もいたりするし、レスを必要としなくともただ書くだけでも気持ちが楽になるだろうし、サイトの方針に外れていないのなら、それはちっともおかしいことではない。そういう目的で開かれている板は多い。

しかし、そういう悩んだ末にカキコする人に的外れの説教をする方がたまに現れる。

いわく「あなたの”努力”や”がんばり”が足りないからそういうことになるんです」「(相談できる機関があったら教えてほしいというカキコに対して)家族の問題を法律や外部の助けを求めて解決しようなんて、おかしいことです」などなど、自分の価値観を絶対的なものとして説教する方がたまに現れる。
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「虐待」関連の板の「育児疲れから毎日子どもにあたってしまうのをやめられない。(どうしたらやめられるのか)」というカキコに対して、「そんなことでは母親失格です!」と乳幼児の世話をした経験が皆無の中学生が的外れのレスをつけたのを目にすることもある。
 しかしこれはまだかわいい (と、最近は思えるようになった。)

「努力すれば 必ず報わるる社会とぞ 女子中学生は清清として」
     作者 阿木津 英 『紫木蓮まで・風舌』
 この短歌は「同性に対する鋭い皮肉」と、「折々の歌」で解説されていたが、作者の
女性もまた大学を卒業して社会に出るまでは、勉強さえできれば男女の差を感じたことが
なかったいうことが、ネットを検索していてわかった。

 だから、ここで歌われている「女子中学生」というのは、作者にとって同性の他人ではなく、かつての作者自身の姿を重ねたものだと私は思っている。ならば育児疲れの女性に的外れのレスをつける女子中学生もまた、私にとって全くの他者ではないことに気づいたから。

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しかし、社会経験の足りなさゆえに的外れのレスをつける中学生はまだしも、ネットには本当に筋金入りの善魔さんが現れることもある。
 以下の日記は、過日ある板に自分は絶対に正しいと信じている善様が現れたときのことを別ジャンルの友達のサイトの板で綴ったログ。どのサイトでもいいように「たとえ」という形で説明している。
 善魔さんを笑う日記をつけていたように見えるだろうが、笑う対象は善さまと自分自身のどちらもであり、どこかで自分を客観視して笑っていないことには、リアルタイムで困ったカキコに接していた訪問者として平静でいられなかったため。興味のある方だけ御覧下さい。



「です。ます。」調でいきまーす

200△年○月×日 癒し系か卑し系か(1)
アノ掲示板には...たとえていうなら、こういう善魔さま(以下、善様)が出ました。

猫好きの人が集まる掲示板に犬が大好きの人が突然現れて「皆さん、猫なんか飼ったって何の得にもなりません。犬を飼いましょう。犬は番犬になります。主人を守ってくれます。犬こそが人間の友達です。猫なんか捨てて犬を飼いましょう」と説教し、犬好きはを広げるべく布教活動を始める。
といった事態になるかもしれません。(爆笑)

意見が違うのは悪いことではないはず。

しかしその人は自分の考えが絶対に正しいことを信じて疑わない。強い信念とパワーがあり、悪い方向に行こうとしてる人には意見してあげなくちゃと思ってる。しかし自分がサイトの方針から外れたことを言っていること、つまり猫派の集会で犬好きに転向することを勧めまわるというような頓珍漢なことをやっているということに気がついてない。いや。確信犯だということがわかった。わかっててやってる。たかがBBSだから本当に石が飛んでくるわけではないし。

意見が違うだけならいい。

問題はその人がとる行動。今後、他の方の意見をけちらしてまわることが予想される。
前にもそういう正義の説教ボランティアが出現したから。
でも前のその人は10代だったようで少しは自分の未熟さも自覚してたようだし、その人の意見には誰もレスらないのでいなくなりました。今度の人もそんなふうに消えてくれたらいいんですが、なかなか根性と信念のありそうな人なのでどうなることか...

笑うしかないです。自分ちの掲示板でなくて本当によかったよかったよかったとわが身の幸いを喜ぶことにします。
200△年★月☆日 癒し系か卑し系か(2)
 ↑内容には関係ないタイトルになってしまったけど続きという意味で

 アニメやマンガには関係ないある人権関係のサイトの一つに、恐怖の説教ボランティアが出た話です。それは猫好き派の板に犬好き派が現れて、犬好きに転向しなさいと改宗を勧めまわるといった状況にたとえることができます。

 もちろんその御方は最初から「私は皆さんに犬派に転向することを勧めに来ました」などと書きはじめているわけではないです。

 そのお方の最初のカキコは、たとえて言えば「現代のペット事情を鑑みて現代人がいかにストレスにさらされているかについての論考」といった類の長文でした。

 ”論旨はわかるけど、なんでここの板でそういうことを述べたいの??”と、私以外の人も不審に思ったのではないかと思います。誰もレスをつけませんでした。
 そのうち、他の方による猫の飼い方についての質問のコメントがあると、その御方は”どうもこのヒト猫好き派ではないな?”と思わせるレスをつけはじめました。質問した方に対する他の猫好き派の方のレスについても、その御方は「そんなことではいけない」という趣旨のレスをつけてまわります。それに対して反論のカキコを書く方も出てきました。

このままでは間違いなく掲示板が荒れると確信した私は、とてもいい性格をしているので(爆)、その御方にくりかえし質問をはじめました。

自分のその御方に対する批判的な意見は一切いれないで、できるだけ相手の文をコピペして、あなたのこういう意見はどういう判断に基づいているのですか。というふうに。
...
私も少しは学習しましたので、自分の意見で相手のおかしな意見を変えようなどとはしません。掲示板は討論には向いてないことがよくわかったし、山田ズーニー先生のおっしゃるように効果的な”問い”を立てるほうが有効だとわかったから。”問い”を提示して相手に考えさせる、述べさせる、そして、自分で自分の言ってることの矛盾に気づかせるほうがよいです。

そうしていくうちに、「人を動かす」(D.カーネギー)のセオリーどおりというか、自分に関心を持つ人には心を開くというのか、その御方はとうとうと自分の信念と考え方を述べだし、「猫派に対して犬派に転向を進めにきた」というその人の核心があらわになりました。やはり善魔さんでした。
200△年%月&日 癒し系か卑し系か(3)
 アノ人権関係の掲示板はどうなったかというと、その御方による信念をとうとうと述べられた書き込みのあと、誰のなんのレスもコメントもありません。このままフリーズした状態が続くかもしれない。(笑)
 たとえていうなら、そこの猫好き派の方々はやたらと人に噛み付く犬のような性質はしてませんし、そこまで堂々とサイトの趣旨に反するご自分の意見を述べられたら、ちょっとやそっと反論したって翻意させるのは無理だと誰でもわかります。本来はそこで管理人さんが出てくるべきですが...。

 上野千鶴子が「頭のいい人が頭の悪い人とけんかしたら、前者が後者に負ける。なぜなら前者は後者を理解してしまえるから」といった意味のことを書いてましたが、そういう感じがしました。

私もそういう善魔さんに何を言ったとしても「他人を変えることは出来ない」とわかっています。
それにこれは自慢めいてますが、私は問いを重ねていってその御方の考えを引き出すとき、その人を批判するようなことは一切書かないように気をつけて書いたんですよ。
あなたの意見はこれこれこうなんですね?と確認を書く時も、皮肉めいたことなど書かないで、この人の言いたいことを正確に理解しようと努めたんですよ。(忍耐と寛容力を試されました。)(泣)
ゆえにその御方が必ずしも今飼っている猫を捨ててまで犬を飼いなさいとは言ってはいないこともわかりました。

その御方の信念を述べたカキコというのは、たとえていえば、「皆さんの動物を愛する心は尊いです。しかし猫よりも犬を飼うべきです。今飼っている猫は仕方がないから最後まで飼ってあげて、それ以上猫を飼うのはやめましょう。犬を飼いましょう。犬こそは人間の盟友です。そしてより多くの世間の人たちに動物を愛する気持ちの素晴らしさを伝えてあげましょう。そのために私も頑張ります!!(力こぶ)」 といった感じです。

思わず「頑張ってください!!」と言いそうになるくらいすごいカキコです。

 案外この御方もこれで言いたいことを全部言えてスッキリしたので、もうそこの板から去った...となればいいのですが。希望的観測ですけど、案外...?(>そして別の動物の板に同じ迷惑をかけにいくのか?)

(「悪魔」ならぬ「善魔」の性質は自分も持っているから、これは自戒したいです。他山の石もって自らの石修むべし。もともとネットはOSやソフトの無償提供という歴史はもとより、おせっかいで成り立っているような世界だから −商業目的ではない個人サイトは自己満足と自分と同じ言葉を話す他人へのお節介を目的としているようなもので− 人権関係の板にカキコするような人は誰でも皆、多かれ少なかれ善魔様の属性を持っているのではないかと思う。)
200△年#月!!日  癒し系か卑し系か(4)
 人権関係の板にも「荒らし」は出ます。「猫好き派の人たち」の集まる板というたとえでいうと、ある板で起きた「荒らし」とその対処例についていうと。
@「猫なんて殺してしまえ」のカゲキなかきこみ
誰もレスつけませんでした
あの板には「あなた”荒し”ですね!出てってください」などという莫迦なレスをつける人はいなかった。よかった。(実際に「いじめ」関係の板で、たぶん訪問者の年齢も10代が多かったのか、そういうレスがついてひどくなったのを見たことがある。)「荒らし」に対しては無視が一番有効。

Aたとえていえばその板には、以前「猫なんか飼ったってなんの得になるの?」という明らかに荒らしの挑発という書き込みがありました。「CAPなんてやったって何の効果もないでしょ」というカキコに)
しかしレスがつかない、よかったよかったとおもったら、ある日猫好きの方の書き込みがありました。それは、たとえていえば「猫を飼うと、こういうこと、ああいうことのいいことがあるので、本当に楽しいですよ」と。CAPの効果はこういうこと、ああいうことなどありますよと、まじめにレスをつけている方が現れました
どうもこれ、皮肉のつもりで書いてるのではなくて、純粋な気持ちで書いてるみたいに見えました。荒らしなんて言葉を知らないんじゃないかというくらい。

Bまたあるときは「猫を飼うなんて皆さん博愛精神に満ちた方なんですね」という前後の文脈から見て猫派に対する皮肉の書き込みがありました。
 このときは私は「他の猫派の方については存じませんが、私は自分のエゴと自己満足のために猫を飼っています。猫にとってははた迷惑なことだと思ってます」とレスをつけました。無視が有効だとわかってはいたけれども。 はっきり言うと、「皆さんCAPの推進なんて、子ども思いの方たちなんですね」という言葉ではあるけど、前後の文面からして、荒らしのカキコでした。かちんときた私は「他の方については知りませんが、私がCAPスイシンに関わるのは、自分の子どものためではなく、自分が子どもの時CAPを受けたかったからです。CAPをみて悔し涙を流したので、つまりは代償行為です。自己満足かもしれません。」とカキコしました。
だいたいこの三つがある板の「荒らし」対処法かな。
200△年=月=日 癒し系か卑し系か(5)
 「荒らし」は自分の悪意を自覚してる。自分で卑し系のカキコをしてることをわかってやっている。
  しかし「善魔さん」にはそういう悪意はない
 人権関係の掲示板に出没する「困ったさん」は「自分はこうやってがんばってきたんだから、ほかの人だってがんばればこうこうできるはずだ。出来ないのは甘えているだけだ。他人に頼らず自力でできるはずだ」というふうに、自分のがんばりを相手に強要してることをおかしいとは思っていないだけで...。
 注/人権関係のサイトがほとんどそうであるように、その板も「問題を一人で抱え込まない」「必要なら外部の援助を仰ごう」「困ったときはDV防止法でもストーカー防止法でもシェルターでも警察でも保健所でも民間ボラでも民生委員でも何でも、利用できるものは利用しよう。」という趣旨をうたったサイトの板ですよ。
(後記/CAPについていえば、ある感想にこう書いた子どもがいました。「私は今まで、困ったことを一人で解決するのが大人だと思っていました。しかし、CAPを見て、そうではないことがわかってよかったです」と。)
で、そういう困ったさんの最上級形態が、「悪魔」ならぬ「善魔」さんです。
「これに比べれば『荒らし』なんて可愛いものだ」と思わせてくれるだけでも、善さまの存在価値があるかもしれない...と私は思うことにしました。
「相手は変えられない。自分は変えられる」というセオリーもある。
200△年?月*日 癒し系か卑し系か(6)
 昭和 40 or、50年代の話だと思いますが、結婚後も会社勤めを続ける女性が少数派だった頃、どこかの労働組合などによる働く女性ための集会があり、テーマは当然、働く女性のための職場での地位や権利の向上、給与の男女差の禁止というもの。
 にもかかわらず、そこに招かれたある男性議員さんは「父ちゃんの給料を上げて母ちゃんが働かなくてすむようにしよう」とぶち上げ、参加者一同をあぜんとさせたという。

 とある人権関係の板に現れた「善魔」さんもそれにちょっと似た感じ。
 善様は言いたいことを全部言いきったので、ひょっとして、千尋たちに身体の中に詰まっていた沢山のヘドロを抜いてもらって、文字通り昇天されたオクサレサマ(仮姿)のように、そのかたも去ってくれないかと思ったけど、それは希望的観測に過ぎなかった。

あちゃー ... 誰も反論しない= 自分の意見は肯定された  ということで → それまでの経緯を知らない新参者のカキコがあると、再び困ったレスをつけはじめた...。

 なぜ私はその御方が気になるかというと、それは、見たくもない、恥ずかしい、昔の自分の姿の一部をその御方の中に見てしまうから気になるのです。(泣)
 あなたは私。私はあなた。
 自分が気になる相手というのは、自分をどこかしら映しているものだから。
 あの人権関係の板は荒れが進んだか収まったか、とにかく私はしばらく行くのはやめよう。私はその御方を説得してあげたくなってしまうから。 (泣)
200△年^月〜〜日 癒し系か卑し系か(7)
くだんの善魔さんについてですが、その後なんとかその板から退場してくださいました

ええまあちょっと。他の板での「荒れた」というのを見てきたのに比べたら、「これが荒れてるというの?」と言われるような、波風が少し荒くなったというような状態で終わったので(たぶんその方はもうカキコしないでしょう)よかったよかった

感情的になったのは結局その御方だけだともいえたから。

 私は管理人さんに向けて「この板はどんな意見もありなんですか」とやんわり水を向けました。

だって、たとえて言えば、ご飯が好きな人が集まる板にパン好きな人が現れ、「食い改めよっ!」というレスをつけて回ってるような事態になったのだから。(爆笑)

それで管理人さんはやっと腰を上げ、善様のコメントに対して、相手を批判するという形でなく、私はこういう意見ですというコメントを載せるようになりまして、他の方からも善さまを直接批判しないかたちで、私はこう思いますよというレスも続いた。

 それで善様のちょっと怒った(「なんでここの板の人たちはこれだけ言ってもわかってくれないんだろう」という怒りでしょう)レスが続きましたが、少しあって、善様のほうで、こんな板に書いても無駄だと悟ったらしく、コメントがつかなくなりました。(よかったよかったよかった〜T▽T)


 〜後記〜
 上で書いた善魔さんにはもちろん悪気など微塵もなく、あくまでも自分の経験と信念に基づき、迷える人を折伏したかっただけでしょう。ごく単純に言うと、そのサイトでは「困ったときは行政の A,B,C.D ...という窓口に相談に行くといいですよ」とサイト方針に挙げている。善魔さんもかつて自分の地域のAという窓口に行ったが、そこは全然役に立たないばかりか痛手を被っただけで、問題は自力で解決したようです。だからそのサイトに来て、窓口(全般)に行こうという方を「そんなことはやめなさい」と翻意させたかったのでしょう。

 しかし、これはネットのサイト=特定の方針で開設されている場所という面からすれば、村上春樹のファンサイトに行って「こんなの読むのはやめなさい。宮本 輝を読むべきです」とレスをつけてまわる行為となんら変わりはない。そういう意味ではどちらが正しいという問題ではないけれど、善様の態度は自分の経験した少数のマイナスの事例によって一般的には有益な選択肢を否定するありようにも思えました。

 しかし少数だろうと多数だろうと、少なくとも税金で運営されている窓口が役に立たないどころか相談に行った人が痛手を受けるような場所だという話はあってはならないことなので、善さまがそこで受けた待遇についてこそ話し、そういうことが起きないためにはどうしたらいいかについてを問題提起してもらいたかったと、今になって思います。本当にそう思う。無理だったとは思うけれども。

 そういう「困ったさん」が現れても、なぜそういった場所の管理人は機敏な対応をしないのか...は別のファイルへ。

(03,11,27)


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