...これはボヤキのファイルです... そこの貴方、ひきかえすなら今のうちだっ!! 神経の弱い方に警告します。どうぞ引き返してください!! 市民企画でCAPを提供する機会を設けるのも簡単にはいきません...といった裏話をサイトに載せ、「企画するのは大変そうだ」と思われる人が増えては困るので、表ではあまり書かないだけです(T_T) 私自身は自分の都合があり、今後、自分が中心になって地域でCAPを企画する予定はないです。誰かが企画したいと言ったら「手伝う」気はありますが、自分の責任で企画しようという人はなかなか現れないっス。(^^;;)。(笑) 自分がもうCAPを企画する予定がないのに、勝手なことを書きつらねて失礼しました。 「こどもワークショップは学校のクラス単位でやってこその効果なので、学校以外でやることは良いとは思えません。」 (がーんがーんがーんがーんがーん......)((((((((エコー) こういうことを言う人間はどういうヒトかと推理ごっこしてみる。 注/どうころんでも冗談です。 遊び心の冗談です まず、身の回りに小学生の子どもがいないのは確かだろう。 公教育の場で公費でのCAP実施が施行されるのを待っていたら、目の前の子どもは子どもでなくなっちゃうよーという感覚がないから出てくる言葉でしょう。 CAPスペシャリストでもない。少なくとも20世紀末からある程度の活動歴のあるスペシャリストさんならこういうことは言わないと私は思う。あくまでも「言わない」であって、「こういうことは思わない」ではない。 ひょっとして10代の高校生じゃないかという気もする。 その発言の前提にあるのは「学校でCAPが実施されることが当然のあるべき姿」ということでしょう。そうでなければ、こういう発言は出てこないと思うのですが。 ということは、ここ5,6年位前までは、学校の教室で、教員免許を持たない人が子どもの前で話をするなんてことは、考えられなかった(学校長や教育委員会が飛んできて阻止した。)という状況だったことをわかっていないわけですよね。 この方の住む地域では当然のように学校教育の中にCAPが組み込まれているのかもしれないけど、全国的にはそれがまだ先駆的な学校または地域、自治体であるということをご存知ないわけですね。(ひょっとすると九州在住の方かな?) 90年代半ばからの教育の自由化だとか地方分権だとか週5日制への移行とか、公立小でも少人数学級を(予算を自分の自治体で負担するなら)やってよろしいというニュースなど、公立の学校教育は各自治体の裁量にまかせる部分が大きく変わって、同じ公立小学校でも学校格差が大きくなっている経緯も。 小学校の授業枠の時間の中で、地域ボランティアの人が読み聞かせをしたりするなんて、私が子どもの頃は考えられなかったことです。 (最近、子どもの読んでる、ロングセラーの「ずっ○け3人組」(←○にしたのは、この言葉でこのファイルが検索に引っかかったので/追記)を読んだら、主人公たちのクラスは 42人学級だった。 これは20余年前は珍しくない人数です。) きっとその発言の方は小学生か中学生のときに、学校でCAPを受けて、すごく良い経験をしたと思っている。(でもそれが公費での実施だったのか、PTAの企画によるのか、どういう経緯に拠るものだったのかわかっているのかな?) で、高校生になって、CAPの本も読み、アメリカでは学校という場所でCAPが広がっていったことを考え、日本でもそうであるべきだと思ったのではなかろうか。 正義感の強い、まじめで、几帳面な、やや完璧主義の、高校生という感じがする。 この推理は当たっているんでしょうか。 (たぶん、はずれていると思います>自分) (大ハズレだと思うので、書けるのです) 注/誰でも10代の頃は世間知らずの頭でっかちですから、もしもこれらの推理があたっているなら、ある意味、この人はかつての自分ではないかとも思います。恥ずかしい話ですが。 「努力すれば 必ず報わるる社会とぞ 女子中学生は清清として」作者 阿木津 英 『紫木蓮まで・風舌』 「他人」というのは、「ありえたかもしれない自分」であったり、場合によっては「かつての自分」だと思います。 人権関係の板にはときどき困ったさんが出る。別名、悪魔ならぬ善魔さん。 「家族でいくら話し合ってもらちがあかないので、相談できる機関はありませんか」という人に対して、「もう一度心の底から家族と話し合ってみれば何とかなると思います。家族の問題を外部の機関に相談するなんて感心できません」と言う人が。 私はがんばったんだから、貴方もできるはず。できないのはあなたの努力や頑張りが足りないからだと、頑張った人にさらにがんばれと追いうちをかける方が。(悪気があって言っているわけではないのはよくわかる。) その掲示板で 「ここの管理人さんはnobiさんの書き込みに対して意図的に返事をしていないように見えてしまうのですが、気のせいでしょうか。」「nobiさんのご意見に対する管理人さんのご意見を聞きたいのですが。」というカキコもありましたが、そこの管理人さんは、この問題のスレッドでは、誰に対しても、何に対しても、何のレスもコメントもつけませんでした。 私は管理人さんに対して逃げたな(笑)と思いましたが、その方が賢明だと思います。それが大人の判断です。 (ムキになってレスをつける私の方が精神年齢子どもです。) そこの管理人さんの場合、いくら「自分の意見ですが」と前置きしたとしても、それは個人の意見ではなくて、そのサイトを作っているNPO団体の意見というふうに受け取られるので、この場合、「自分の意見」は言わないほうが賢明です。 CAPがなんらかの政党や宗教団体や全国的な展開をしている学習塾や牛丼チェーン店が立ち上げたものなら、中央の指令に全国のグループが従うはずでしょうが、実際は子どもワーク後の「トークタイム」についても、実施してるグループと考えがあって実施しないグループがあるし、CAPの各グループは草の根的に各地で発生した組織なので、「どこかに中央執行部(!?)があり、そこが全国のCAPグループを統括しているもの」ではないと私は理解しています。 (地域によっての物価や交通網や行政の補助の有無など事情も違うから、講師料だって全国統一にできようはずがない。) CAPセンターJAPANもまたそういう目的の組織ではないと私は解釈している。 だから「(CAPセンターJAPANの事務局の人が)この板を見ているなら、(この問題に対して)なんらかの意見を言うべきではないのか」というカキコもあったが、仮に事務局の人がそこの板を見ていたとしても、それに応える義務はない。 だからそのツリーはあまり盛り上がらず(というか、荒れずに)、終わりました。 .................. 勇者様が神殿の泉に石を投げても、波紋がちょっと広がったもののすぐ消えただけで、水底から審判者は現れなかったのです。勇者様の期待したイベントは起きなかったわけです。 .................. 正直に言うと、いくら訪問者交流用の掲示板だったとしても、訪問者同士の意見が対立したり、困ったさんが現れたときに迅速な対応をしない管理人というのは、困るのですが(しかし、それをいうと、私などはとっくの昔に締め出しをくっていた可能性が)...しょうがないので、最初に返答のレスをつけた自分がそのツリーを〆るしかなかったじゃないですか。 よそのサイトの掲示板は、他人のうちの応接間」だと思うから、かなり気を使って書いてきたつもり(これでも>自分)で、このファイルに書いたような皮肉たらたらのボヤキは向こうの板には書いてこなかったよ、私は。(少しは学習したよ>自分) しかしほんとうは 「(公民館の市民企画などのように)学校以外の場所で、(公募による)希望者に(CAPを)提供するほうがはるかに簡単(だからといって学校以外の場所で実施するべきではない という趣旨)」という一文を見たときの私の「「「気持ち」」」は、正直言いますと、これ。 ↓ http://www.happyhour.jp/sample/kodomo.html 「そうですか、学校以外の場所で、希望者に(CAPを)提供するのはそんなに簡単にいくんですか」くらいは言いたかった。が、やめた。市民企画(CAP以外にも)経験者として、胸中かなり思うところがあった。 (もちろん、どんな発言にも文脈というものがあり、あくまでも 学校でCAPを実施する壁をクリアする困難さに比べれば、学校以外の場所で企画実施するほうがはるかに楽だろうという発言者の趣旨はわかるけれども、私には言ってほしくない言葉だったので、そのときは、ほんとうに腹が立つやら泣けてくるやら。) すると、思い出したくないことまで思い出してしまった。 公民館の市民講座を企画したグループの代表を集めて公民館側が意見を聞く会で、公民館の館長はなんていったと思いますか? 「皆さん、1円にもならないことをよくやりますね」 悪気がないのだろうけど、ほめ言葉として言っているのだから、あきれかえった。世の中、こんなものだということはわかっていても。 あとでこんなふうにも思った。 (これくらいのことで、腹が立っただの、落ち込んだの、くやしいだの、へこんだのと言ってるんだから、それだけ幸せな人生を歩いてきたってことだね>自分) (...そうは言っても、くやしいものはくやしいんだ〜) T-T |
(2004, 2, 10,)