「魔女の宅急便」×「HUNTER× HUNTER」
(変な組み合わせだと思われるかもしれないが、ちょっとだけ思うことを…)  k.note


完結していないマンガは読まないことにしていたが、今年1月、医院の待合室にあった「HUNTER× HUNTER」4冊を読んでしまった。それがきっかけで、既刊の13巻まで読んだ。一番好きなキャラクターはレオリオ
だから、2巻(HUNTER資格を得る試験の巻)で、ヒソカが湿原で「 試験官ごっこ」をしたとき、なぜヒソカはレオリオを殺さなかったのか、ずっと気になっている。
レオリオはヒソカと「 同じ匂いのする」仲間にも思えないし、ゴンのようにヒソカに一発に食らわせたわけでもないのに、どうして ヒソカは「 ハンターとしての素質や将来性」をレオリオに感じて殺さなかった(どころか、2次試験会場まで運んでくれた)というのだろう。

レオリオとヒソカは、その後なんの接点もない。直接 敵対するわけでも仲間になるわけでもない。ヒソカがレオリオを影から見守るわけでもない。(想像するだけでコワイ!)



…と、そのうち、勝手な読者の決め付けといえばそれまでだが、レオリオは、もう一人のゴンではないだろうかと思うようになった。

ここで、ちょっと「魔女の宅急便(以下「魔女宅」)」を思い出してほしい。

「魔女の宅急便」には主人公キキを囲んで、年齢の違う女性が登場し、それぞれキキを助けてくれる。
キキの少し年上で、キキの直面する悩みを既に経験し、アドバイスをしてくれるウルスラ。
キキに下宿を提供するグーチョキパン店の若奥さんで妊娠中のオソノさん、
キキを送り出す先輩魔女のお母さん
キキが落ち込んでいたとき、暖かく励ましてくれる上品なおばあさん

「魔女宅」についての対談集か何かを読んで知ったのは、これらは皆、一人の女の子が成長した時のそれぞれの年齢の姿だということだ。
つまり、キキが少し成長してウルスラになり、やがて結婚してオソノさんになり、大きくなった子どもを送り出す魔女お母さんになり、歳を取って、孫娘の成長を見守る御祖母さんになる。すなわち、キキを手助けしてくれたのは、他ならない将来のキキ自身であり、ウルスラたちが見守ったのは、誰でもない過去の自分たち自身の姿であるということだ。
(そういえば「3匹の山羊のガラガラドン」も 一匹の山羊の過去と現在と未来の姿を引喩しているわけで。3匹とも同じ「ガラガラドン」という名前なんだから、何をかいわんや。)

つまり、別々のキャラクターに見えるものが、実は同じキャラクターの将来が織り込まれた姿である場合があるのだと、「魔女宅」についての評を読んで以後、思っている。

といって、ゴンの将来像がレオリオだと言いたいのではない。
もしもゴンが 自然の豊かなクジラ島ではなく どこか遠くの国の 季節のない都会の、喧騒にあふれた街に生まれ、 普通の両親のもとで成長していたら、レオリオのようになっていたのでないかということだ。 レオリオは、ゴンの将来の <もしかしたら> <ありえたかもしれない>姿 だと 私は勝手に思っている。

レオリオが <ありえたかもしれない> もう一人のゴンなら、ヒソカは <ありえたかもしれない> 誰の姿なのかと考えた。









10巻 「No092 9月3日G」の扉絵(闇のオークション偽装開催のための正装かもしれないが、ウヴォーのための幻影旅団全員の喪服姿に見える)のヒソカを見たとき、やはりヒソカは<ありえたかもしれない>キルアの将来の姿 だと、 私は勝手に確信した。
これはゴンに出会うことなく成長し、人の死にだけ魂の震える歓びを抱く青年になったキルアだと。(キルアもヒソカ同様お菓子大好きであるところなど、作者はやはり同一人物を意図して作っているんじゃないかという気がする。)

しかしキルアはゴンに出会った。
殺し屋ではなくハンターである自分を自覚するキルア(13巻)。キルアはヒソカのようにはならない。(なってほしくない、ああいう変態には。)(失礼)


レオリオとヒソカは、ゴンとキルアの<ありえたかもしれない>将来の二人の姿だと思う。

が、これだけでは何故ヒソカがレオリオを助けたのかの理由にはならない。
逆立ちしたって「ヒソカはレオリオを、自分が少年のときに出会うはずの人物だったと思ったから助けた」なんてことにはならないだろうけど。


だから、「HUNTER× HUNTER」が完結する前に、再び、ヒソカとレオリオが接点をもつはずではないかと思い、いやそうあってほしいと 私はひそかに願っている。

(妄言多謝)

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