「千と千尋の神隠し」つれづれ k.note
カオナシについて 下の説明はあんまりだと思う…
「他人とうまくコミュニケーションが図れず/金によってのみ興味を引き/意のままにならないとキレて襲い掛かる」(キネ旬ムック「『千と千尋の神隠し』を読む40の目」より)
↑ ↑ ↑
えええっ あぅ この解説は そりゃ ないんじゃないかああああ???
いや、それは確かにその通りなんだけど、いや ちがう やっぱりそれは ちょっと ちがうんじゃないかと私は勝手に思うので、このファイルを作ることにした。
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カオナシの身体は向こうが透けて見える。頼りない。虚無をかかえている。
どうしたら この空虚さが埋められる?とカオナシは考えていた。
小さな女の子を幸せにすることで、自分も幸せになれるのではないかと、思いついた。
そしてそれは、さほど難しいことだとも思えなかった。
女の子は (薬湯の札を出してやっただけで) 喜んで駆け出して行ったから。
そしてカエルの番頭もそこで働く男も女も(砂金を出してやれば)みるみる目の色が変わるから、同じ物を出してやれば、あの子もきっと喜ぶだろうと思った。
だから「あなたには私の欲しいものがわからない」と言われるなんて、思わなかった。
自分が一番好きな女の子が、自分を一番好きになってくれるとはかぎらない。
現実は、いつも私を裏切る。誰も私の空しさを埋めてくれない。
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カオナシがパニックを起こして暴走したとき、千は慌てて逃げ出したものの恐怖してはいなかったのがなんだか可笑しい。「カオナシに食われる」と思っても不思議じゃないような姿形になっていたのに。
どうして千はカオナシに食い殺されるとは思わなかったんだろうか。
カオナシをやっつけようとか、思わなかったのか。
「 あの人はあそこ(湯屋)にいないほうがいいと思う」と言って千はカオナシを連れ出した。
なんだか、ナウシカ(マンガ版最終巻)で、虚飾をはがされて痩せ細った老人のようになった皇弟が闇に飲まれようとしていたのを連れ出した、ナウシカのように見えた。
カオナシは湯屋の周りをうろうろしたり、時には橋のたもとにたたずんで、誰かが自分に気がついてくれるのをずっと待っていた。千が自分を見つけてくれた。湯屋の戸を自分のために開けてくれたので、おそるおそる足を踏み入れた。
(湯屋にカオナシが入りこんだことを湯婆婆は感じ取ったわけだから、湯屋=湯婆婆の結界 の中では、カオナシの欲とか力とか何かが活性化される作用があるように見えた。)
知らないうちに手がはえた。口もできた。カエルを飲み込んでみた。言葉がしゃべれるようになった。お大尽になってみた。食べても食べても満たされない。膨れはするが、向こうが透けてみえる虚しい身体のままだった。千の投げたダンゴを食べて元に戻った。油屋を出たら鎮まった。
そして、カオナシはカオナシのままで、田舎道をたどった林の向こうの魔女の家に( とりあえずは )居場所を見つけることができたので、私はほっとした。
その他雑感
上映会場を出た時に、欠かさず宮崎駿のアニメを観ているような男の人(子?)の声が聞こえた。
「やっぱ”もののけ”が最高だよな」。
ああそう、そりゃ確かに”もののけ”みたいなドラマチックなストーリー展開ではなかった。
また、私にとっては、同じ宮崎駿の「ルパン3世/カリオストロの城」のように晴れ晴れとしたエンドではなかった。千尋は異界から解放されて、元の世界に帰還できたけれど。
エンディングが流れてるときも、魔女の宅急便みたいに、その後に後日談が付いてるかもしれないと期待したが、それもなかった。(そういえばオープニングもなかった。)現世でも、いくらかの時間が経過してることを示していたから、ちょっとした浦島太郎になっていてもおかしくない。
和洋折衷 ケンラン豪華 異形の神々 日光東照宮のようなデコラティブ/式神(紙)を使うは魔女 ”金太郎の母親=山姥”伝承は 山姥=妖怪魔女婆に宮崎変換/かと思えば宮沢賢治の描いたような田舎の道をほてほて歩くカンテラ/静かなお茶会/ 水と油みたいに交わることはない双子?/やんややんやの大喝采に送られ 「お世話になりました」と挨拶して帰っていく子ども
エコロジーなどについての声高なメッセージはなく、大人向けの「パンダコパンダ」みたいだなと思ったほどで、だから私は、この物語について、あそこがここが現代の世相を皮肉っているとかは言いたくないが、同じように限られたおもちゃ箱のような空間を舞台にしたカリオストロの城ほど、気持ちよく終わったようには思えなかった。
なぜかというと
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リンは他の従業員のようなカエルやナメクジの化身にも見えないが、人間でないとしたら何だったのだろう。千と同じ衣を着た女の子たちが雑巾がけしているところも出てきたけど、あれはやっぱり同じように神隠しにあって消えた女の子達で、湯屋では歳を取らない姿のままなんだろうか。
ハクについて、ハクが千尋を見つけたのは湯屋の外の橋のたもとだったわけで、あとで湯婆婆の部屋で会った時と、エレベーターで降りるときのハクは、千尋を忘れているふうだったから、やはり湯屋という結界に入るとスイッチが切り替わるのかと思ったが、その説明では他のつじつまが合わないし、じゃあ湯婆婆がハクの中にいれたムシが昼寝や朝寝してるときだけ、千のことを思い出せるってことかなあとか、どこに切り替えスイッチがあるのかと気になった。
センが湯屋の下働きの衣に着替えたとき、もと着ていた服を捨てられて(というよりも、自分の持ち物をきちんと管理できるような子どもではなかったので − 今時の子どもは部屋の中がモノであふれているので、何かなくなっても気がつかない − 捨てられたことに気がつかなかったのではないか)、湯屋のゴミ捨て場(焼却場?)で、それをハクが抜き取ったんだろうな。
ハクが吐き出したムシは、湯婆婆が入れたハクを支配するための虫と、銭婆婆が印鑑にしかけた盗み出す者への呪いのムシのふたつの意味がダブってしまっていて、変だ(と、立花隆も言っている)。ハクの腹の中で二匹が合体したんだろうか。
また、現世での住処を奪われた神様に戻る場所はないのではないか。
だから、ハクの言葉は、千を行かせるための方便だったんじゃないかという気がする。
ふりかえらない千を見送るハクは、せつない表情をしていたのではなかろうか。
映画を見る前は、カオナシを諸星大二郎の「不安の立像」のキャラクターに面をつけたもののように思っていたが(宮崎駿が諸星大二郎のファンなので)、見ているうちに、まるでストーカーだなと思いながら、「天空の城ラピュタ」の、シータの飛行石に反応して(自分の仕えるべき小さな主人を見出して)、要塞の中でシータを追い回すロボット兵を連想したりした。
まさかそれが自分にとってこの物語のなかで一番気に入りのキャラクターになるとは思わなかった。(…なんか…自分って、いったい…。)
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千尋の挨拶
釜爺からリンに仕事の渡りをつけてもらってボイラー室を後にするとき、リンに言われて、あわてて釜爺に世話になったと挨拶する。「お世話になりました」の言葉が言われなければ出てこなかった子ども。しかし、突然異界にほうり込まれ、パニックになって緊張して疲労困ぱいで、礼を言うことまで気がまわる余裕があるほうがおかしい。普通の女の子なら。もちろん今どきの10歳の女の子なら日ごろそういう言葉を口にすることに慣れてないだろうけど。
しかし、これが、ナウシカやクラリスなら、言われるまえに礼を言うだろうな、と思った。
「ルパン3世/カリオストロの城」で、クライマックス近くで、次元たちの援護でルパンとクラリスが脱出するとき、ルパンのもとに駆け寄ろうとしてふと後戻りをし、「次元様、五右衛門様 どうかお気をつけて」と、礼を言って花嫁のかぶりものを置いて去る。(五右衛門をして「 可憐だ…」と言わしめた。)
その一言だけで、彼女がルパンが命懸けで守るに値する少女だと彼らを納得させる。
(すごいシーンだったんだなあ…。)
ひょっとしたら、千と千尋…は、<礼を言うことを知らなかった子どもが、ちゃんと礼を言って帰れるようになるまでのお話>といっただけの話かもしれない。<冒険>というよりかえってすごい気がする。
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私が好きなシーンは導入部の
遊びに夢中になっているうちに、 ふと我に返れば、あたりには闇が迫り、昼間と違う風景が広がっていこうとするところ。ここは私の知ってる世界じゃないと、足元もおぼつかない昏(くら)さにあわてふためきながら、帰り道を捜すが見つからない。どうしよう、何でこんなことになっちゃったんだろうと、自分を責めてももう遅い。(船からは異形の神様が続々降り立ち、異世界に放り出されたことを知る。)
それは まるで 自分も いつか どこかで経験したはずの焦燥感
作家の手練手管にはまってしまったといえばそれまでだが、ぞくぞくするようなデジャブ(既視感)に目をみはった。
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あら捜しばかり書いているように見えるだろうが、また見たいと思っている。
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たしかに、あちこち説明不足のまま幕を閉じられたような小さな不満がくすぶった。しかし、その不満さえも、いまではかえって、どこかに自分の心の一部を残したまま、それでも次のステージへ行かなければならない日常のリアルさ、現実の不条理を映しているような気さえする。
わたしも 適当に しっかり 生きなくては。(何 言ってんだか<自分)
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