ネットをやめない やめられないワタシ 

その理由を一言で言えば、「遠くの親戚より近くの他人」 …じゃないない、コホン、

「近くの他人より 遠くのオタク」
…なのである。(ワタシの造語)  あるネット依存者の頁


1.インタネ依存

数年前、ダンナがインタネを始めたときは冷たい目で見ていた自分だったが、今では私のほうが
インタネにはまっている。中毒しているというより、依存しているというほうが正しい。

はじまりは、下の子どもが幼稚園に入って平日の昼間の公園通いから解放された頃というべきか。
戻ってきた自分の時間に滂沱のうれし涙を流し、悟りを開いた高僧のように、午前の日の光の中で
「 生きてるってスバラシイ…」と傍目にはただぼうっと自分の時間をかみしめていた。

しかしやはり凡俗の人間、自分の時間が出来て間もなく、趣味の世界が蘇ってしまった。
「30過ぎてハマるものなど無かろう」とタカをくくっていたのに、はまってしまった。
そして誰かと思いを共有したくなったのに、周りには誰もいないことに気がついた。
 つまり、「子どもの手が離れたので、趣味の世界のバカ話を思いっきりしたいっ!!!」ということ。
                    …
 社会人になると、自分と同じ言葉を話す仲間(オタク!)は、なかなか見つけられるものではない。
学生の時だってそんなにいたわけではなかった。
 しかし、とにかく仲間を見つけなくては窒息しそうだった思いが、さわったこともないパソコンに
立ち向かわせた。自分のIDをとって、あれよという間にのめりこんでしまった(●^o^●)
インターネットはそういう”仲間”を見つけられるアンダーグラウンドだった。

ニフティサーブに感謝です。そこの<会議室>に入り浸り、トモダチを見つけ、トモダチがその世界の
同好の人が集まるサイトを教えてくれ、−中略−はまっていった。
ついには自分もオタクなホームページをつくるに至り、海外の同じオタクさんから英文メールを頂いたりもするようになった。これではネットからはなれられるわけがない。

 ネットの中には、まるで忘れていた自分の母国語が通じるような場所がある。
そしてまた
「貴方の書かれたものは面白い」 とほめてくれたり、
「よく出来ていますね。感心感心」と頭をなでてくれる(ような)人がいたりする。
 ホームページはインタネでの<自分>の出店場所だ。

   (普通の主婦がガーデニングや部屋の模様替えを楽しむように、サイトオーナーは
   「今度はサイトをどんな壁紙とアイコンに替えようか」と思い巡らす。)



そこは、ワタシがワタシの話したい言葉で話すことを認めてもらえる場所
すなわち<認知>欲求が満たされる場所=ネットの世界 である。

自分の年齢、性別、出身地、学歴、経歴など全然関係なく、ただ同じ<それ>が好きな人と
その世界の人にしか通じない言葉で体面を気にすることなく話すことができるし、どんなに
遠い所に住んでいる相手とも知り合うことが出来る。(インタネがなければ知り合う事もなかった。)

そんなこんなでどっぷりインタネにつかっていた自分に転機が訪れたのは
自分のサイトの容量が10MBをオーバーして、サイトが一時アクセス不可になったときだ。
ワタシはパニックになった。

これは、自分がいかにインタネに<依存>しているかを、ミもフタもなく自分で自分に暴露して
しまったようなもので、そういう自分に対してひどく落ちこんだ。  まずい。  ケータイから
しょっちゅう呼び出し音が鳴ることが一種のステイタスになる女子高生に似ている。  

 自分が<今>、<ここではないどこか>と繋がっていることをそれぞれケータイでインタネで
確認したい(安堵したい)ような心理は似ているように思う。
 それは避難場所への通路、現実逃避装置にもなっている。

(そんなに重たい現実なのか?>自分)  
(現実は重たい.面倒くさい.コトバが通じない無神経な人とつきあうのはいやだ>自分)

「熱を入れすぎて、他のことが疎かになることがしばしばある。家事とかダンナの相手とか。
何せ趣味の世界が濃い〜もので。」とインタネ友達も書いている。
日常生活がめんどうになるのは相身互いだった。



ネット(あっちの世界)にいき過ぎては まずい…と自分でも思った。
 さらにまた、「神様が『少しインタネから離れなさい』と思って与えた」とでもいうようなトラブルを
ネット上で被ったこともあり、一時期に比べれば、だいぶ私のネット熱は冷めている。
 
 今はネットの世界に引きずられないように、ログもレスもカキコも止めている。
それでも一日10分〜1時間は接続している。このほかにDLしたファイルを見ている時間もある。
自己表現の場がネットにできてしまった以上、ネットはやめられないが自分のペースを守りつつ
やっていきたい。(と、自分に言い聞かせている。)


2.おせっかい

TVや雑誌でいうほど、リアルでの自分の身の回りにインタネは普及していないと思う。

現実。これをインタネの友達との間ではリアルといっている。
「大事にしよう リアルの生活」というのが目標になっていたりして…。

普通のお母さんはインタネをやらない。
(注:筆者の知る範囲の幼児〜小学生〜中学生くらいの子をもつ専業または勤労主婦Sのなかで
自宅で趣味として日常的にインターネットに接している人はめずらしいということ)

必要がないからやらない。それはそれでいいんじゃないか。
それでもたまに 「インターネット始めようと思っている」と聞くこともある。

しかし「インタネでどこにいきたいの?」ときいてみると答えは漠然としている。
 
自分のネット友達が、周りの、これからインタネしたいという知人に聞いたときの答えとよく似ている。
ネット友達曰く
「今まで何人もと同じ会話をしたが、「○○がしたい」「××のために」と、ハッキリとした目的を 聞いたことは数えるほどだった。皆、「ほら、みんなやってるしぃ」だの
「これといっては無いけど面白そうじゃん」
或いは「これくらい出来ないと〜」とのお答え。」


そう。私が聞いた場合も同様。
「インタネで買い物とか してみたいし」
「こどもが学校でそのうち習うだろうから、ウチで早めに始めといたほうがいいと思うし」
………
 果たしてそのあとが続くんだろうか…。余計なおせっかいは言いたくないが。
 (すいません。コレを読んでカチンとくる人もいると思う。ごめんなさい。)

「家にパソコンはあって、主人は時々インターネットやってるけど、私はさわったこともない」
という知人も少なくない。
子どもが入園する前の私もそうだった。貴重な自分の時間を使ってパソコンで探したいものはなかった。

なにしろ2,3歳の幼児と24時間一緒にいると、好きなビデオもみられない。
「もののけ姫のビデオだって、途中で子どもが怖がって泣き出すから、最後まで見たことがない」と
幼児を持つ人同士の集まりで誰かが言うと、皆、うんうんとうなずいていたものだ。



インターネットは「どこでもドア」だと立花隆がいっていたが、希求するものがある人にとっては重宝
このうえない。しかし、特に行きたいところがないまま始めた人は、ものめずらしさからあれこれサイトを閲覧してみる一時期が過ぎた後、どうするんだろう。

インターネットはTVではない。
「自分はこういう情報がほしい」という欠けた部分を持っている人でなければ、
インタネはその人の道具たり得ないのではないか。
無目的で始めても、結果として「何か」がみつかればよいが、一億総オタクになるとも思えないし、そういう世の中はどう考えても「変」だ。


せっかく買ったパソコンが宝の持ち腐れ(か粗大ゴミ)になるのはもったいない。
しかし 「インタネやれば?面白いよ!」なんてことを私は他人に言ったりはしない。
聞かれれば「私にとっては面白い」とは言うだろうけれども。


3.蛇足

もちろんこの育児マップサイトを作った目的もオタク(同好の人)のためである。
知人が全国育児マップ図鑑をつくると聞いて
「 じゃあせっかくだから自分たちの作成のノウハウを公開すれば、それが役に立つ人も
いるんじゃなかろうか」てなものである。

肝心の全国育児マップ図鑑が発行未定になってしまったのは予定外でしたが、
地域紙の記者さんがCAPについて取材にこられるとき、 あらかじめこのサイトを見ていただき
「とてもよくわかった」と言って下さり、取材もそれを補足するかたちで
10のうち8から話し始めることができて良かったと取材を受けた者が言ってました。

( 00,8,06)