本の紹介
『少年「5000万円」恐喝事件を読みひらく』
副題/空白の10年・バブル崩壊は子どもたちに何をもたらしているのか

あいち県民教育研究所・「少年恐喝事件」調査プロジェクト編
(発行 フォーラム・A  税別2,667円)


はじめに...<(_ _)>
すいません。私は誤解していました
2000年4月に報道されて世間の注目を広く集めたこの事件についてのあらまし。
A:「名古屋の5000万円恐喝事件において、被害者の少年と 病院で同室になった患者達が勇気を持って、加害者の少年達を追い返し、被害者の少年にも勇気を出すよう説得したことが、この事件解決に結びついた」
または同じ意味内容としてとして
B:「事件が明るみになったきっかけは、怪我をさせられ入院していた子供と同じ病室の青年が事件を知り、仕返しが怖くて警察に届けられなかった親子を励まし、警察に被害届を出させたことから」
と理解している人は多いに違いない。実際、そう説明してある政治家のサイトもあった。私もそう思っていた。Aは正しい...かも、しれない。はっきりいって私にはわからない。
 しかし残念ながらBは正しいとは言えない。Bは、マスコミや視聴者の「こうあってほしい」「こうにちがいない」という期待が入りこんでいた。

本書によると−
「2000年3月5日 被害者の母子と入院先で知り合った大人たちが加害少年の一人のAの家に『恐喝されたお金を返してほしい』とやってきて、被害少年側からは『お金さえ返してもらえば事件にしないから』と言われたが、加害少年者側の親たちが話し合って、きちんと事件化したほうが子どものためだといい、子どもたちもやったことを認め自首すると」きまった。

 が、「3月6日 緑警察署に行って、調査し処罰してほしいと事情を話したが『被害届けが出てなければ事件にできない』『事件になってないので、自首してもしょうがない』と言われ、『それならどうしたらいいのか』と問うと『弁護士に相談してください。弁護士斡旋事務所を紹介します』と言われた。

 一部報道では、加害少年の親たちが最初から警察に弁護士を紹介してもらいにに行ったというようなことが言われているが。それは間違いである。弁護士を紹介してもらい示談にするのなら、警察に行く必要がないわけである(中略)被害届けが出されたのは3月14日。」

 −ということだった。
 本書を読むと、加害者側の親が決して子どもを放任していたわけではないこと、児童相談所へも度々足を運んでいることなどがわかる。
 だからといって、もちろん加害者側の恐喝の事実が変わるものではないが、本書を読んでいると、加害者の少年達の側には、それこそ税金をかけてもらって更生する道があるのに、被害者側の少年の心については、公的には何のケアの仕組みもなく置き去りにされたままだったのではないかと気になった。

本書より
−男の子に対する「強い人であれ」という暗黙のプレッシャーは「男は問題があっても自分一人で解決しなければならない」というメッセージとなり、いじめられているとき、ひどいことをされているとき、怖いときに「助けて」という言葉を飲み込ませてしまう。惨めな姿をさらけ出せなくさせてしまう−
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本書の「はじめに」より
− 本書は、2000年4月に報道されて以来、世間の注目を集めることとなった。いわゆる名古屋の「中学生5000万円恐喝事件」についての、「あいち民研・少年恐喝事件調査プロジェクト」による1年以上に及ぶ調査の報告書である。
− 本書の特徴は、教育行政や学校管理職の視点でも、マスコミ的な好奇の視点でもなく、父母・住民、子どもたちと日々格闘している教職員、研究者、専門家の視点から特事件の背景や原因、予防策・解決策を解明すべくていねいに事実を掘り下げていったことにある。
 本書は、事件の背景として愛知県的なことを随所で指摘している。しかし、それは、この分析が愛知県以外で通用しないということではない。事件の原因となる諸条件が、愛知県で鮮明に現れているのであって。かえって、全国の少年事件を分析する際の枠組みを提供する形になっている。
(中略)
 また、調査の中で、「良い子」「普通の子」の育ちの問題も見えてきた。そのてんで、「良い子」「普通の子」の事件を理解するのにも、大いに役立つのではないかと考えている −
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[あいち民研は事件発覚後,早速にプロジェクトチームを編成し、1年半にわたって現地に入り,学力不振で学校にも家庭にも居場所のなっかた中学生たちが、どのようにして暴力連鎖の底辺に取り込まれていったのかを、当該中学校の教師たちや他の同じ市立中学校の教師たち、学区の父母や同学年の生徒たち、さらには加害者の保護者たちから、丹念な聞き取り調査を行いました。]

 が、警察と被害者の少年母子だけは[あいち民研]の聞き取り調査に応じてもらえなかったそうだ。
(被害少年を助けたという病室で一緒になった大人達についても、[あいち民研]は聞き取り調査をしなかったのか?それとも調査に応じてもらえなかったのか?と気になる。)
 本書に書かれなかった部分、つまり、「被害少年はこの事件から何を学んだのだろか」ということが、本書でも指摘されているように、気にかかった。



私がこの本に興味を持ったのは次の二点について知りたかったからだ。
1 ”愛知県では児童虐待が全国的にみて多発している。少年事件も多い”と言われているが、それは数値としてはっきり証明されているかどうか。
2 また、多発しているなら、その理由は、いわゆる”西の愛知 東の千葉”と言われるような管理教育を背景にした相関関係が現れているかということ。つまり
 「管理教育→かつて管理教育を受けたものによる子どもへの虐待」
 「管理教育→少年事件の多発」
 という相関関係について、ひょっとして記載されてないかと思い、図書館で注文してみた。

それに対する答えは−    ★  ★  ★
「愛知では。大河内清輝君の「いじめ自殺」事件(1994)のあとも、99年8月に少年(当時16歳)による女子高生刺殺、2000年5月にも豊川市で高校3年生による主婦刺殺事件が起きている。」
 3章 事件は、どのような背景で起きたか。(1)なぜ、愛知で続くのか より
「なぜ、愛知で少年に関わる事件が続くのか。
それには、愛知の教育界に関わる構造的な背景がある。愛知は、歴史的に中央志向がとても強く、国の制度や教育政策を忠実に実施する反面、教育現場の声や、子ども・父母の願いを生かす方途を取ることに対してきわめて消極的な体質を持っている。全国で唯一の「複合選抜制度」や「生徒指導の手引き」の精神そのままの管理的な生徒指導」

「愛知の全日制高校への進学率は何年にもわたり全国最下位(実質90%)。1998年の文部省統計で、愛知のいじめ発生件数が全国2位の数であることなどの実態は、全日制高校進学率全国最下位と全く関係なしとは思えない。」
「「5000万円」事件の被害者も加害者も、学校教育から阻害されてきた少年たちであったという現実を、教育・行政関係者はもっと深刻に受け止めとめるべきではないかと思われる」

「愛知、名古屋の教育界においては、出身大学による学閥が厳然と存在し、昇進システム系の影響力は強固かつ特異である。」

...

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 この本には、事件の背景として、学校は、教師は、周りの生徒は、家族はどういうものだったのか、どういう町でどういう社会環境だったのかということがレポートされ、まとめられ、また、地域や学校で、どういった対応策がなされているのかも述べられている。
 加害者と被害者の通っていた中学は1クラス40人×一学年8、9クラスという大人数、1割くらいの子どもが「学校に来なくてよい」と学校や教師によってはじき出されていくような仕組み、勉強が嫌いなら(できないなら)中学を卒業して働けばいい−と、単純に勧めることなど出来ない世の中になっていることなどを考え合わせると、冒頭にも書いたように、自分の勝手な思いこみで事件を見てはならないのだと気づかされる。
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参考
『少年「5000万円」恐喝事件を読みひらく』
少年「5000万円」恐喝事件 調査報告集会

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