「バカチョンカメラ」は、いただけない


「バカチョンカメラ」と目にしても、なんのことかわからない人も少なくないだろう。
現在30代後半以降の人なら、子供のとき、TVで萩本欽一が「バカでもチョンでも写せるカメラ」と
CMしていたことを記憶に留める人もいる。
しかし、もはや死語だと思っていた。

 が、幼稚園に通う子どもの卒園アルバムの制作委員5名の中に加わり、先日、初めての集まりが
あり、そこに幼稚園の設立以来からアルバムを受注している写真屋さんが訪れて、アルバムの原稿の
作り方についての簡単な説明がなされた時のこと。

台紙にアルバム委員のお母さん方が写した写真を貼って説明文を書くか、書いたものを切り貼りすれば良いという説明だった。そこで、初老の写真屋さんは言った。
「バカチョンカメラで大丈夫ですから」

(一眼レフとかの凝ったカメラを使う必要はないという意味でいっているのだろうと思う…)

「使い捨てカメラでいいということですね」と、委員の一人が確認した。
「ええ、そうです。バカチョンカメラで大丈夫です」と、写真屋さんは繰り返し言った。

(……毎年、言ってるのだろうか?)

写真屋さんが退場後、委員だけで次の集まりの打ち合わせをしているときに
「あれは言ってはいけない言葉だよね」と、思いきって言ってみた。
「そうだよ」と、一人の委員さんが相槌を打つ。
「え〜なにが?」と、別の人。

委員5人中、”チョン”が、かつて朝鮮人を侮辱して指す言葉で、つまり『バカチョンカメラ』が、「バカでも
朝鮮人でも写せるカメラ」の意味になるので廃された言葉だと、知っていたのは2人だった。

さすがに、自分より年配のおじいさんに注意を促すなんて出来ないが、まだ、そういう言葉が、
生きているのかぁと、びっくりした。(全然考えないで使っているのだろうけど)
「東久留米市や近隣には、差別や部落といった切羽詰った問題がなかったので、同和教育には
力を入れてこなかったんじゃないかな」と、ここで育った知り合いも言っている。

一般に、関西のほうが在日朝鮮人差別や部落差別問題の解消に目を向け、同和教育に
力を入れてきたと聞く。逆にいえば、それだけ日常的に、身近なところで問題が起きて、
それに取り組んできたということか?。

つまり、「関西の教育関係者の方が、人権問題に対しての取り組みの歴史があるので、
CAPについても、『これは非常に優れた人権教育の一つだ』と、理解が早かったのだ」と
言う人がいる。

断定できるものではないだろうが、CAPの導入が西高東低と言われる理由の一つとして一理
あるように思えた。( 00,5,11初出5,26一部修正)