「ワンピース」のファンサイトからいただいてきたテーブルに、文字を入れました

......今(2003年)から10年前の1992年(H、4),3,1の「ボランティア情報」178号に
「嫌われボランティアマップ」という特集が組まれ、大きな反響を呼んだ(.....という)。
 いまでは幻のマップから、ごく一部を紹介しつつ、嫌われボラについて考えてみた。

空白をクリックしたままスクロールすると説明が出ます〜


言うだけボラ
有言不実行。グループに顔を出しては、色々言うが自分ではやらない。

「やってやる」ボラ
無償で「やってやるのだ」という顔をして、相手の誇りを傷つける
「こだわり」ボラ
ボランタリズムをことさら聖化し、それをひからかす。少しでも「不純」な活動を見つけると、軽蔑の色をあらわにする
「ボランティアとは?」ボラ
ボランティアとはいったいなんだろう、という疑問を出すだけの「悩み」専門。
「活動見つからない」ボラ
いつまでたっても気に入った活動が見つからない。

悪口ボラ
    活動の対象者の悪口を平気で言う。
善意押し付けボラ
相手が嫌がるのもかまわずに、善意を無理やり押し付ける。
あわれみボラ
「おかわいそうに・・・」と、相手がみじめになるのもかまわず、あわれみをかける。
「あなたは対象者よ!」ボラ
対象者が何か社会のお役に立ちたいと思ってもさせない。
無償信仰ボラ
「なんでも無償」を主張。相手の立場も無視。。
お返し拒絶ボラ
対象者からのいかなるお返しも拒絶。「いいのよ、私たちボランティアなんだから」。。
「なあんだ、アンタお金もらってるの」ボラ
 有償活動を目の敵にする。



★「言うボラ」なりにみがきをかけよう [「ボランティア情報」紙のアドバイス]
 「確かに言うばかりで実行しない人もいるでしょうが、場合によってはこの「言う」こと自体が立派な活動になる、ということは知っておいたほうがいいでしょう。人の気付かない当事者の願いを聞き取り、それを地域のボランティアに「提案」、実は重要なボランティア活動なのです。自分は「言うボラ」向きだなと思ったら、その技術に磨きをかけ、そちらの方面で活躍されたらどうでしょう。」
★「言うボラ」が状況を一変させることもある  [nobi]
 閉鎖的な空間にボランティアが出入りすることにより、閉鎖的なその場所だけでまかり通ってきた常識が外部の目にさらされることがある。
 02年秋に茨城県の筑波愛児園で、ボランティアが施設内で起きていた虐待を知り、それを弁護士に通知したことにより、その実態が世間に広く知られ、施設の運営の改善につながったニュースがある。
 ボランティアに行った場所で、一般の社会常識に照らしておかしいと思うことがあったら、「そういうものなのか」と変に納得せずに声に出してみることも、これからのボランティアに求められる姿勢ではないでしょうか。

(もちろん、一般常識から見て一見非常識に見えることでも、その世界ならではの合理的な根拠があるという場合もままある。ということから、直接ボランティア先で疑問を口にするのがためらわれる場合は、同好の士が集まるネットの掲示板に自分の意見を提示して他人の意見を広く聞いてみるという方法もある。ネット・ボランティアという「言うボラ」が集まっている板なら、具体的なアドバイスや助言が得られる♪)
 ボランティアが果たす役割も時代とともに広がっていき、時には、うるさいボランティア,口出しボランティア,嫌われボランティアになる勇気も必要になると思います。
★児童養護施設のボランティアについて  
がんばれ!養護施設出身者 の管理人エドワードさんの掲示板でのカキコより(了承を得て転載)
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 「施設の常識は社会の非常識」という言葉があります。施設という集団の運営を優先するため、社会的な常識からかけ離れた施設的常識がまかり通っていることをさします。
 子どもは、その生活を通して社会常識を学びます。毎日の生活そのものが、常識を学習する場です。しかし児童養護施設では、社会常識ではなく、施設常識を学習せざるをえない子どもが大半です。そして、施設的常識を学習したまま、社会に放り出されます。私も、施設常識から脱却し、社会常識を身につけるまで、長い年月がかかりました。
 施設は、社会から子育てを委託された存在です。その子育てが社会常識から外れていいわけがありません。どうぞ、おかしいと思われる施設の常識(掲示板で出された例/児童養護施設の子どもが知り合いの大人からお年玉やお土産をもらったが、あとで施設側の指示により、それをそのまま返しに行かされたこと)に出会ったら、おかしいことはおかしいと施設に伝えてください。施設の子どもたちのために。(*「施設の主任格かその上の偉い方にじかに」話すのがよいとか)
 施設には、多くの市民の目が入る必要があります。



★正義感の強い人は気をつけよう [nobi] (; ̄Д ̄)

 自戒を込めて書きますと、「他人を良くしてあげよう。善い方向に導いてあげなくては。」という思い込みの強い人のなかには「他人を(自分の思う方向へと)コントロールしたい。支配したい」という欲求が隠れている場合があります。本人には悪気などなく「相手のために」という善意で行動しているだけに、相手にとって自分が迷惑行為をしていることになかなか気がつかないものです。(「悪魔」ではなく「善魔」になっているわけで(^◇^ ;) )

 これは別のファイルの脅迫ボラ批判拒否ボラにも通じることですが(じつは、嫌われボラは、元の図ではすべてリンクしている。ホントはこれ)、「ボランティアは善いことをやっているのだから、どんな批判も受けるいわれはない」というのは間違い。
ボランティア(volunteer)」の語源のラテン語(voluntus)は「自由意思」「自発的に」を意味するそうです。しかし、これは「勝手気ままに」という軽い意味ではなく、ラテン語のvolは英語will(意思)の語源であることからも示されるように、”自分はそうせずにはいられないから、そうする”というような、強い「意志」を表す言葉だとか。(実際になんらかのボランティア活動をしている方には、この語源に納得する方が多いのではないだろうか。どんな活動でも「善いことだから」という理由だけで始められるわけではないし、続けられるものでもないと思う)。そしてまた”自分はそうせずにはいられない”のだからといって、相手にとってそれが善いことであるとは、必ずしも限らない場合もある。

 自身の活動は「自分がそうしたいからそうしている」ということを念頭におき、それが結果として「人のため」になっているかどうかを時々検証してみるほうがよいのではないでしょうか。
「大安町手話サークル」サイトボランティア拒否宣言(花田えくぼさんの詩)
   がんばれ!養護施設出身者 のサイトの施設っ子のつぶやき より
 「ボランティアは、来たいときに鳴り物入りでやって来て、したいことをしたいようにして、記念写真をたくさん撮って、帰りたいときに意気揚々と帰っていきました。 慈善を施した満足感をおみやげにして・・・。/ ボクたちは、その間、笑顔を見せ、喜んでいる振りをして、感謝の言葉を口にして、いやだといえずに、ジッと耐えていました。」



★「ボランティア」から「ボランティア精神」へ [「ボランティア情報」紙のアドバイス]
 ボランティアは何が何でも「無償」でなければならないとし、有償活動をしている人が「ボランティア」の名を使うことに極度に神経をとがらしているボランティアもいますが、大切なのはボランティア精神があるかどうかであって、たとえ有償の活動でも、企業の一見利潤を追求しているような行為の中にも、いくぶんかの「ボランティア精神」が込められているケースはいくらでもあるのです。「ボランティア」であるか否かよりも「ボランティア精神」があるか否かを大切にしたいものです。
金銭面でボランティアを分類すると、ボランティアには3種類ある。[nobi]
すなわち「無償ボランティア」「有償ボランティア」「持ち出しボランティア」。(笑)
詳しくは→ CAPとボランティアについて
 たとえばPTA活動も立派な「無償」ボランティア活動ではないでしょうか。上の三つも活動の優劣とかいった分類ではありません(為念)。

その他の嫌われボラの項目を読んで見たいという方がいましたら、メール下さい。ファイル送りますのでコメントをつけてくださったら、サイトにアップすることができるようになると思います〜〜〜

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